小軍奮闘記

低身長社会人(1年目)が見たもの、考えた事の記録

消えたバイト先

 

「考えが甘い」「ちゃんと考えているのか?」

そんな言葉が上司から飛んでくるたびに、豆腐メンタルである僕は

毎回のように悩み、数日は引きずる。

 

悩んで引きずると言っても、叱られた原因を深く考え改善策を練るわけではない。

ただ悩み、ただ落ち込む。

最も生産性が無いタイプである。

 

社会人としてそのような場面に巡り合った時に、

心の強い人のように反骨精神で次の日からやる気を出すという行動に出られないのは、

ただ単に気にしがちな性格だから、というだけではない。

 

「上司に怒られる」「仕事の出来なさを指摘される」

という経験が、これまでの人生に数えるほどしかないからだ。

 

自分で言うのもなんだが、仕事の効率や要領は人並み以上に能力があると思っている。

もちろん、「デキる男」とは言わないし、特筆して自慢できるような程度ではない。

 

ただ、これまでの学生生活において、何かができずに怒られた経験もほとんどなく、

自分でも「俺って仕事できねえなあ」と思ったことはあまり無かった。

向上心も薄い人間だが、人並みに言われたことはこなせるし、

良くも悪くも「怒られないように最低限は十分にこなす」という事だ。

 

例に漏れず、大学時代のアルバイトもそうであった。

僕は、大学1回生の頃にサークルの先輩の紹介で、居酒屋のバイトを始めた。

ホールの7割が女子高生であり、そのうち9割が髪を染めていた。

一方の僕はキッチンに配属され、人の良い先輩に囲まれて働いた。

 

店内200席が週末は必ず満席になる、よくある大型チェーン個室居酒屋であったが、

そこでも僕は特段怒られる事はなく、逆に「仕事覚えるのめちゃくちゃ早いね」と

周囲から高い評価を受けていた記憶が鮮明にある。

 

2年後には自分が最年長となり、バイトリーダーを務めた。

食材の発注から予約管理等、店の事はだいたい任されていたし、

気を遣う先輩もおらず人間関係が良好すぎて毎日バイト終わりに遊びに行くようになっていた事も相まって、基本週5~6日でバイトをしていた。

 

今となっては、そこまでバイトに身を沈める必要があったのかは疑問であるし、

よくいる「熱心すぎるバイトの鑑」であったので、恥ずかしい面もある。

 

ただ、バイトで得た人間関係は今でも繋がりがあるし、

ホールキッチン共に働いて学んだ飲食店経営の実態や接客は無駄ではなかったはずだ。

 

大学生活でバイトを経験した人なら理解できると思うが、

大学時代において、「学部内の友達」より「バイト先の友達」の方が

友人として深い関係になる事の方が多いと思う。

彼女や彼氏が同じバイト先での出会いという人も少なくないだろう。

 

高校生のように「毎日同じ時間と同じ課題を共有し切磋琢磨する」というような

心のつながりや団結力が、大学には全くもって存在しないのである。

それと比べれば、大学の学問や部活に熱心でなければ、

ある程度、深い人間関係の構築は難しいだろう。

 

 

そんなこんなで、計6年半をそのバイトに費やした。

大学→大学院(1年留年)の7年間のほとんどはそのバイトをしており、

それも週5,6で出勤していたのだから、僕の大学時代の半分くらいはバイトだった。

過言ではなく、大学や家にいるよりバイト先で過ごす時間の方が多かっただろう。

 

人生の中で、「6年半同じ場所で働く、時を過ごす」というのは

就職以外で考えると、そうそうある事ではないだろうと思う。

 

今、「大学時代の思い出は?」と聞かれると、

所属していたサークルのキャンプや旅行と同列で、

皿うどんを"10個"と発注したら、12袋×"10個"が届いたこと」と答える。

 

これは流石に冗談だが、そのレベルでバイト先での記憶が濃い。

大学の講義で「まあCで単位もらえればいいだろう」と、仲の良い友達に

15回全ての講義を代筆させた結果、友達が「B+」で僕が「A」だった思い出など、

頭を絞りに絞って出てくる記憶である。

 

 

それほど思い出深かった6年半のバイト経験。

僕も大学院最終年、流石に就活をして企業に就職したが、6年半の最後は

なんとも悲しいものだった。

 

普通、バイトを辞めるとなれば65%くらいの確率で発生するイベントがある。

そう、”送別会”である。

 

数週間でバイトを飛んだ奴、あまりにも人間関係の構築に力を入れずして辞めた奴、

心底嫌われている奴、レジ金を盗んで逃亡した奴…

そのような人間には訪れることのないイベントであるが、

普通にバイトをして、普通に人と関わっていれば、大抵は開催される。

 

それはそれは、送り出される側にとっては気分の良いものだと想像する。

自分の後輩たちが居酒屋を予約し、自分のいないLINEグループで

プレゼントや色紙などを準備する手筈を整える。

そして当日は、時にはサプライズな展開があり、時には後輩が涙する。

 

―〇〇さん居なくなったらバイト楽しくねえっすよ~。

 

こんな言葉がお世辞でも頂けようものなら、

バイト先での苦悩など地球の裏側まで飛んでいくような思いだろう。

 

無論、僕も就職が近づくにつれてその期待は心のどこかに在った。

そんなものは普通考えないのかもしれないが、なにせ6年半である。

 

6年半のうちに店長は7回変わり、バイトのメンバーも50人以上と会った。

同じくらいとは言わないが長年の付き合いである後輩も多い。

バイト以外でも遊んだりする中で、並以上には「いい先輩」であったと思う。

 

多分、おそらく、きっと、

いや、さぞ、それはそれは、確実に、

自分の送別会が通常以上に盛大に開かれるのだろう。

後輩から色紙やプレゼントを貰い、別に好きではないお酒もその日限りは

クソ美味いんだろう。

居酒屋を出たあとも別れを惜しみ、カラオケオールなんかしてしまうのだろう。

 

 

 

その淡い期待は儚く消えた。

 

 

僕が就活真っただ中の2020年1月。

コロナウイルスが日本全土を襲った。

現在進行形でその脅威は益々増加しているが、

ウイルスがコンマ08の角線ダッシュスタートを決めたのはその時期だ。

 

勿論、飲食業界、特に夜間メインで酒類を提供している居酒屋にとって

その打撃は半端なものではなかった。

 

宣伝費の投入によりホットペッパーでも検索上位に表示され、

平日でもゆうにキャパの半分は埋まり、週末には満席確定BONUSだったバイト先が

次第に静まりを見せるようになり、最終的には平日1組、週末5組程度になった。

 

そうなってくると、店長に与えられた使命は「大シフト削り祭りの開催」である。

忘年会、歓送迎会シーズンに向けて厚く整えられていたシフト表は、

日に日に斜線が増えていった。

 

勿論の事、その店の業務においては長いキャリアと高い能力を持っていた僕は

その祭りの参加には結構な遅刻が許された。

 

毎週のシフトが少ないやつ、つまり店の営業への貢献度や重要度が低いメンバーから

順番に削られていく。シフトを削られバイトに入れなければ辞める。

単純なことである。

 

そうして、2月、3月と過ぎていく中で、

客足とバイトの人数が大幅に減った。残ったのは有能かつキャリアの長い戦士たち。

しかもそれでいても削られる。

 

祭りに遅れて参加した最後の砦である僕も、週5,6だったシフトが

週1,2まで落ち込んだ。

時には、18時に店に行って着替え、その日最初の客が来るまで「待機」し、

客が来たら麻雀ゲームを辞めてタイムカードを押してキッチンに入る、という

キャバ嬢のようなシフトを敷かれた日もあった。

 

そんな日々が数か月続き、ついに、「シフト0」となった。

その時には3,4人を除いたバイトメンバーはシフトも出さない幽霊部員になっていた。

出してもどうせ入れてもらえないのだから当然である。

 

半年前までは毎日のように行っていたバイト先に行くこともなくなり、

僕としては大学院の研究と自宅でのYoutube巡りに勤しんだ。

 

「シフト0」になって数か月後、店長から一本のLINEが入った。

 

―店がなくなるかもしれない。

 

まあ、バカでも予想できた。

食中毒や火事などのピンポイント事故ではないのだ。

コロナウイルスという世界的状況が原因で客が来ず利益がない。

 

コロナの収まる気配がない中、そんなビジネスが復活する気配など微塵もなかった。

 

「ついに無くなるのかぁ…」

 

僕の中で、注文の伝票が目の前に並んだ忙しすぎる週末のキッチンの様子が蘇り、

バイト後にカラオケやラウワン、心霊スポットに行って皆で笑いあったあの記憶に

暖かな懐かしさを感じながらグッと涙を堪える

 

ような事はなかった。

 

当然である。急に店が無くなったり皆でパーティをしたわけではない。

急だったのはコロナだけだ。そこから徐々にシフトが減り、気づけば店の存在が限界。

 

何も感じなかった。

ただただ、6年半もやってたのかという何とも言えない気持ちだった。

 

 

僕の生活から居酒屋バイトが消え、

店長から「店が無くなるかも」と連絡のあった2か月後。

 

僕はやむを得ずいくつかのバイトに面接に行き、

あの「くら寿司」と「パチンコ屋」でバイトをしていた。

パチンコ屋は思いのほか普通に面白かった部分もあったが、

寿司屋だけは今思い出しても地獄である。

 

居酒屋で日本一忙しいバイトを経験したと思っていたが、甘すぎた。

昼のピークと夜のピークがあり、その間は夜の仕込みに専念するという

シフトの端から端まで休む暇もなく、「速さ」だけを求められるあのバイトは

一生やりたくない。

 

自分を戒めたい人や、忙しければ忙しいほどやる気が出る方は

ぜひ100円回転寿司のバイトをおすすめする。

 

 

まあ、そんなこんなで過ごしていたある日、たまたま駅前に用があった。

僕の働いていたバイト先である居酒屋は、駅前の立地の良いビルの4Fだった。

 

バイトに行くときには毎日通っていた道で自転車を漕ぎながら懐かしさを感じ、

ふとバイト先が見える場所を通ったときであった。

 

悲しいなあ、という若干の気持ちを抱きながら、そのビルの4Fの看板を見上げた。

 

 ” 〇〇美容外科 ”

 

 

一瞬頭が混乱した。

 

バイト先間違えたかな。ここじゃなかったかな。

いや、間違いない。この「ジャンカラ」と「マツキヨ」があるビルだ。

 

なんとなんと、クソみたいなネーミングセンスだった居酒屋の看板が、

真っ白な美容整形外科の看板に塗り替えられているではないか。

 

個室と雰囲気をウリにしたあの暗い店内が、

どうやったら純白と清潔に包まれた美容外科に変わるのだろう。

という疑問を抱いたのは、その看板を見て少し経った後だった。

 

 

なるほどなるほど。

逆に面白いとはこの事か。

バイト先がなくなっただけでなく、美容外科になったというオチ付きである。

 

苦笑いしながら帰路に着いたが、バイト先が無くなった悲しさはなかった。

先でも述べたが、徐々にふわっとこの状況になったので、悲しみを感じるのは難しい。

 

既に、今の生活にも慣れてきていたし、バイトのメンバーとも会ってないのだから

そんな感情を深く感じることはなかった。

 

看板を見た時も、苦笑いはしたものの

「これは結構面白い話だな」と、バイト先のメンバーや知人に連絡しようと思ったくらいだ。

 

 

ただ1つだけ、強めに思った事がある。

 

 

「送別会…無ぇよなぁ…」